究極のサラブレッド ディープインパクトを紹介しよう。

伝説のサラブレッド ディープインパクトについて解説しよう。

プロフィール

2002年3月25日生 牡 鹿毛
父 サンデーサイレンス
母 ウインドインハーヘア(父 Alzao)
馬主/金子真人氏→金子真人ホールディングス㈱
調教師/池江泰郎(栗東)
生産牧場/ノーザンファーム(北海道・早来町)
通算成績/14戦12勝(うち海外1戦0勝)
主な勝ち鞍/06有馬記念(GI) 06ジャパンC(GI) 06宝塚記念(GI)
06天皇賞・春(GI) 5菊花賞(GI) 05日本ダービー(GI)
05皐月賞(GI) 06阪神大賞典(GII) 05神戸新聞杯(GII)
05弥生賞(GII)
馬名の由来:深い衝撃(英語)

全てのカテゴリで1位を独占

●近代競馬における最高傑作。日本史上最強のサラブレッド(40代・男性)
●純粋に走るのが凄く速い馬。彼の走りは圧倒的だった(20代・男性)
●「この馬を見るためだけに競馬場に行きたい」と思わせてくれる馬(40代・男性)
●いつかディープの仔で凱旋門賞を制覇することを夢見ています(40代・男性)
●レースリプレイを見ると当時の興奮が蘇る(30代・男性)
●後にも先にもこれ以上の名馬なし(50代・女性)

現役時代に刻んだ深い衝撃 種牡馬としても覇道を突き進む

父は打ち出の小槌のように次々と大物を送り出し、非現実的と思えるほどの成功を収めたサンデーサイレンス。そんな大種牡馬の、衆目の一致する最高傑作がディープインパクトである。現役時代は「飛ぶ」と表現された破格の末脚を武器にターフを席巻。史上2頭目の無傷の三冠制覇、歴代最多タイのJRAGI 通算7勝など、数々の金字塔を打ち立てた。1頭だけ、別次元のレースを走っているようだった抜群の加速力は強烈な磁力も併せ持ち、見る人の心を鷲づかみにした。
当然、競走生活に終止符を打ち、種牡馬としてのスタートを切った際には大きな期待がかけられた。しかし冷静に考えれば第2の生活で挑むハードルが高く険しいものになることは明らかといえた。一定レベルの成功なら誰もが確信していたが、何しろ比べられる相手はサンデーサイレンス。あれほどの猛威を振るった父と遜色のない成功なんて常識的にはあり得ない──はずだった。
ところが初年度産駒がデビューした2010年以降、加速度的に勢力を強めてきた産駒たちの活躍によって、ディープインパクトは今や、父に比肩するほどの地位を築きつつある。昨年の暮れに記録した「6開催日連続のJRA重賞制覇」のように、サンデーサイレンスの上を行くレコードも樹立し始めている。非現実的と思えたレベルの成功が、すでに視界に入ってきているのだ。
種牡馬入りの当初から現在の隆盛を確信していた人はきっとこう思いながら、大いに溜飲を下げているに違いない。だって競走時代はあれだけ凄い馬だったんだぜ? 一方では映像や記録を通じて得た現役時の知識に産駒の活躍を重ね、こんな想像を膨らませる人もいるはずだ。リアルタイムであの走りを体感していたら、どれほどの衝撃を覚えたんだろう? いずれにしても私たちは今、改めて、ディープインパクトの“凄さ”を追体験している真っ最中なのである。
史上最強馬と呼ばれた名馬は過去に何頭もいた。だが種牡馬入りした後、これほど眩い輝きを放った〝史上最強馬〟は過去には1頭もいなかった。現役時代に刻んだ深い衝撃をますます増幅させながら、種牡馬としての〝覇道〟も突き進むディープインパクト。未曾有のシュプールはまだまだ、どこまでも伸びていきそうだ。

 

究極のサラブレッド ディープインパクト

 

ディープインパクト(英: Deep Impact、2002年(平成14年)3月25日 – )は、日本のサラブレッドである。2005年(平成17年)に日本競馬史上6頭目の中央競馬クラシック三冠(無敗での達成は2頭目)を達成、2006年(平成18年)には日本調教馬としては初めて芝部門・長距離部門で世界ランキング1位となった。種牡馬としては2012年から2016年の日本のリーディングサイアーである

このほか2005年にJRA賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬、2006年に年度代表馬・最優秀4歳以上牡馬を受賞し、 2008年(平成20年)には顕彰馬に選出された

 

経歴

デビュー前

ノーザンファーム時代

ディープインパクトは2002年(平成14年)3月25日[注 1]に北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれた。ノーザンファーム場長の秋田博章は生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと語っている

0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、金子真人に7000万円で落札された。馬体の薄さが嫌われたのか、上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目の落札価格だった。購入した金子はこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた

ディープインパクトは0歳10月にノーザンファーム遠浅の1歳馬用の厩舎に移動した。関節に不安があると判断されたため、遠浅に移動した翌日から「パドック」と呼ばれる小さな放牧地に入れられて運動を制限された。広い場所で放牧されるようになったのはそれから約1か月後だった。ノーザンファーム場長の秋田は遠浅時代のディープインパクトについて、集団のリーダーではなかったものの、集団の先頭に立って走ろうとし、薄い蹄(身体的特徴の項目を参照)を擦り減らして血だらけになりながらも走るのをやめなかったと語っている

1歳9月にはノーザンファーム早来に移り育成を受けた。小柄で繊細な面があったため、女性スタッフが育成を担当した。その育成担当スタッフやノーザンファーム場長の秋田は共にディープインパクトの柔軟性の高さを指摘している(身体的特徴の項目を参照)。一方で、柔軟性がありすぎるところや、小柄で非力なところを欠点として指摘する声もあった

池江泰郎厩舎に入厩

ディープインパクトは2004年(平成16年)4月15日に早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を受けた[15]。そして同年9月8日、栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩し、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。初めてディープインパクトを見た市川は、同馬が小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという。

入厩して1か月が経過した10月、坂路の調教で初めてタイムを計ったときに、調教師の池江が58秒から59秒で走らせるように指示したが、これよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。それにもかかわらず、汗もかかずにまったく疲れた様子がなかった。このとき厩務員の市川は、ディープインパクトを「ただ者ではない」と思ったとのちに語っている。その後12月に武豊騎乗でデビューすることが決定したため、デビュー戦4日前の調教で武豊が初めて騎乗することになった。調教を終えると武豊は調教助手の池江敏行に「この馬、ちょっとやばいかも」と興奮気味に話し、翌年の活躍に期待した。

現役競走馬時代

2歳 – 3歳(2004年 – 2005年)

新馬戦から東京優駿まで

2004年(平成16年)12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。武豊は引退まで手綱を握ることとなる[2]。レースでは、上がり3ハロン33秒1の脚で、のちに金鯱賞・マイラーズカップなど重賞4競走に優勝し安田記念で2着となるコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利[19]。レース後、厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという[21]

続く2戦目は2005年(平成17年)1月22日に、京都競馬場で行われた若駒ステークスだった。レース数日前、武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた。レースでは最後方から競馬をし、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利。この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。またこの時点で三冠達成を確実視する声もあった[23]

次走には皐月賞トライアルの第42回弥生賞に出走。関東では初出走となったが、ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録した。レースでは2歳王者のマイネルレコルトや京成杯を制したアドマイヤジャパン以下にクビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。

第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と、1951年(昭和26年)のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武豊がレースで初めて鞭を入れると、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。勝利騎手インタビューで武豊は「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」と言葉を残した。レース後の記念撮影で武豊は指を1本立てて一冠をアピールした。これはシンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ事実上の三冠宣言であった。

究極のサラブレッド ディープインパクト
東京優駿の優勝馬服を着せられたディープインパクト
2005年5月29日、東京競馬場にて、第72回東京優駿

迎えた東京優駿。当日の東京競馬場には前年比114.8パーセントとなる14万143人もの観衆が押し寄せた。左回りのコースは初めてだったが、単勝支持率は73.4パーセント(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。スタートは皐月賞同様に出遅れ、道中は後方につけるも、4コーナーでは横に大きく広がった馬群の最外を通り、直線では1頭先に抜け出したインティライミに残り200メートル地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝。1992年(平成4年)のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。武豊は勝利騎手インタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。そして翌日のスポーツニッポンの手記で武豊はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、四位洋文は「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている

三冠達成、そして有馬記念での初黒星

東京優駿の後は、まず栗東トレーニングセンターで調整されたが、7月10日に札幌競馬場に移動し、それから約2か月間は同競馬場で調整された。放牧に出さずに札幌競馬場で調整されたのは、厩舎での調整のリズムを変える必要がないことと、避暑ができるからであった。札幌競馬場での調整では行きたがる気性を治すための調教もされた(性格・気性の項目を参照)。9月11日に栗東トレーニングセンターに戻り、その後は栗東で調整が行われた

秋初戦となった神戸新聞杯は、最後方から2番手の位置でレースを進めたが、直線に向くと先頭に立ち、2着シックスセンスに楽に2馬身半の差をつける完勝。勝ちタイム1分58秒4はトウショウボーイが持つ従来の記録を塗り替えるレースレコード。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。

究極のサラブレッド ディープインパクト
2005年10月23日、京都競馬場にて、菊花賞

そして三冠のかかった2005年(平成17年)10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客が押し寄せた。ディープインパクトの単勝支持率は79.03パーセントとなり、単勝式オッズは1.0倍(100円元返し)となった。この単勝支持率は菊花賞としては1963年(昭和38年)のメイズイ(6着)の83.2パーセントに次ぐ史上2位、グレード制施行後の重賞としては当時史上最高の単勝支持率であった。レースでは好スタートを切ったものの、スタート後の最初の3コーナーから掛かってしまう。そのため武豊はディープインパクトを馬群の内側に入れ、前に行くのを防いだ。その後馬群中団で落ち着いたディープインパクトは、直線で先に抜け出していたアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝。シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。なお、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」は2005年(平成17年)のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした(レースに関する詳細については第66回菊花賞を参照)。

第50回有馬記念(2005年12月25日、中山競馬場にて撮影。ハーツクライの2着に敗れ、デビュー戦からの連勝記録が「7」で途絶える)

菊花賞後、陣営はディープインパクトを年内にあと1レース出走させる方針を示したうえで、ジャパンカップと有馬記念のどちらに出走するかを検討し、最終的に有馬記念に出走させることを決定した。事前のファン投票では16万297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年比129.6パーセントとなる16万2409人もの大観衆が押し寄せた。古馬とは初対決となったものの、単勝式オッズは1.3倍を記録した。しかしレースでは、いつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫した。レース後、鞍上の武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった。普通に走ってしまった」と初めての敗戦にショックを隠し切れないコメントを残している(レースに関する詳細については第50回有馬記念を参照)。

2005年(平成17年)の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された

JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。

4歳(2006年)

阪神大賞典から宝塚記念まで

1月23日に行われた前年のJRA賞授賞式において、オーナーの金子が「夏にヨーロッパでいいレースがあれば使いたい」と発言し、海外遠征を行う意向が示された。海外遠征については2月、調教師の池江によって、春は阪神大賞典から天皇賞(春)へ向かい、天皇賞(春)の後にイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスとフランスの凱旋門賞のどちらに出走するか決定すると発表された[40]

2006年(平成18年)の初戦となった阪神大賞典は初めて経験する稍重馬場だったが、レースでは3コーナーで進出を開始して4コーナーで先頭に並ぶと、最後の直線でデルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず、決勝線手前では武豊が抑える余裕を見せ3馬身半の差で優勝。順調なスタートを切った。

究極のサラブレッド ディープインパクト

2006年4月30日、京都競馬場にて、天皇賞(春)

4月30日、続く第133回天皇賞(春)。単勝支持率は当競走史上最高となる75.3パーセント(オッズは1.1倍)を記録した。スタートではまたも出遅れ、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。そして3コーナー手前の残り1000メートル地点からロングスパートを開始して[注 7]先行馬を交わしていくと、ゆっくり下ることがセオリーとされる下り坂でもスパートを続け、4コーナーで早くも先頭に立った。直線では、出走馬中最速となる上がり3ハロン33秒5の脚を使ってそのまま先頭を維持し、2着のリンカーンに3馬身半の差をつけ優勝した。勝ち時計の3分13秒4は芝3200mの世界レコードタイムで、1997年(平成9年)の第115回天皇賞においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレースレコードを1秒更新した。2着に入ったリンカーン(3着に5馬身差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは)生まれた時代が悪すぎた」と言うほどの内容だった。武豊は「世界にこれ以上強い馬がいるのかな」と言い、海外遠征での勝利に期待感を示した。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。

天皇賞(春)の勝利により、5月7日に発表された世界統一ランキング上で、芝・超長距離部門の世界ランク1位となった。翌5月8日、調教師の池江が凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランを発表、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念に出走することとなった。事前に行われたファン投票では8万9864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2パーセント(オッズは1.1倍)をマークした。当日の京都競馬場は雨で稍重の馬場状態であったが、道中後方2番手追走から残り700メートル地点で進出を開始すると、直線では馬場外目を伸び、2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円馬となった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。宝塚記念優勝を受けて、7月10日付の世界ランキングでは芝長距離部門で世界1位となった。これは日本調教馬としては史上初のことである

凱旋門賞
究極のサラブレッド ディープインパクト
本馬場入場するディープインパクト(第85回凱旋門賞)

凱旋門賞の行われるフランスに出発する前に、2006年(平成18年)7月2日にマイクロチップが埋め込まれた。これはフランスでは2006年からすべての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられているからである。日本では2007年(平成19年)に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられたが(2006年(平成18年)に産まれた産駒や現役馬は順次導入)、ディープインパクトはこれに先立ち日本産馬としてはマイクロチップの埋め込み導入第1号となった

ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートとともに出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、おもにそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。

10月1日の凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成した。直前の各ブックメーカーのオッズではこの3頭が上位人気を占め、中にはディープインパクトを単独で1番人気に推すところもあった。この3頭と対戦するのを他陣営が嫌ったためか、レースは8頭という史上2番目の少頭数で行われることになった。それまで欧州調教馬以外勝ったことのない凱旋門賞だが、現地のメディアやファンからは「今回はディープインパクトに勝たれても仕方ない」という諦めムードさえ見られた。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。

レースでは好スタートを切り、今までの控える競馬とは違い道中2 – 3番手でレースを進めると、残り300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線を向いてからハミを取らなかった。ギアが一段上がらなかった」と語っている[57]。そのほか競馬関係者もこの敗戦を分析し、元騎手の岡部幸雄と柴田政人は斤量とヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ、さらに岡部は現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったとの見解も示している。また、ライターの江面弘也はフランスのアンドレ・ファーブル厩舎の3頭に囲まれながらレースを進めざるを得なかったことを指摘し、ディープインパクトは「『なにをしてでも勝たなければいけないフランス』に負けた」としている(レースに関する詳細は第85回凱旋門賞を参照)。

日本帰国からジャパンカップまで

ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた。その後、調教師の池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、規定により同競走が開催される東京競馬場で着地検査が行われた。

10月11日には2006年(平成18年)限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した[。この額は日本で繋養された種牡馬としては史上最高価格である。しかしそのわずか数日後の10月19日、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出されたことがJRAによって発表された。そして11月16日、正式に凱旋門賞失格が通告された(禁止薬物問題についてはディープインパクト禁止薬物検出事件を参照)。天皇賞(秋)は、帰国して日が浅い中で出走させるのは馬がかわいそうだということで回避が決定され、日本国内での復帰初戦は第26回ジャパンカップにずれ込むこととなった。迎えた11月26日のジャパンカップでは2005年の有馬記念以来のハーツクライとの再戦となった。同競走は海外からは当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを含む2頭しか出走せず、日本馬を合わせても11頭しかいないという、ジャパンカップとしては少数立てのレースとなった。ディープインパクトの単勝支持率は61.2パーセント(オッズは1.3倍)で、日本国内で走ったレースの中ではもっとも低かったが、これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。レースはスローペースとなったが、ディープインパクトは終始最後方で待機し道中を進めた。そして直線に向くと内に入った他馬を大外から一気に捲くり、ドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンといっしょになって万歳三唱をした。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の1本指が加わって六冠を表す6本指ができた。一方、再戦ムードを盛り上げたハーツクライは、レース前から陣営が明らかにしていた喘鳴症(喉鳴り)が進行しており、見せ場なく10着に敗れた。有馬記念、引退まで究極のサラブレッド ディープインパクト2006年12月24日、中山競馬場にて、有馬記念そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では11万9940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続で(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。単勝支持率は70.1パーセント(オッズ1.2倍)で、1957年(昭和32年)にハクチカラが記録した76.1パーセントに次ぐ史上2位となった。レースでは道中後方3番手につけ、3コーナーから追い出して直線で早々と先頭に立つと、最後は流しながらも2着ポップロックに3馬身の差をつける圧勝で、有終の美を飾った。武豊が「生涯最高のレースができた」「今までにないくらい、強烈な『飛び』だった」と言うほどのレース内容だった。また、このレースでシンボリルドルフやテイエムオペラオーに並ぶ史上3頭目(当時)の中央競馬GI7勝の最多タイ記録を達成し、獲得賞金ランキングでもテイエムオペラオーに次ぐ単独2位にランクインした。この後ウイニングランは行われなかったが、その理由について武豊は、ゴールを過ぎてから走るのを嫌がったためだと語っている。記念撮影では武豊の5本指にオーナーの金子の2本指が加わって七冠を表す7本指ができた(レースに関する詳細については第51回有馬記念を参照)究極のサラブレッド ディープインパクト

引退式

そして有馬記念当日の全競走が終了したあとに引退式が行われた。約5万人[70]のファンが見守る中、厩務員の市川と調教助手の池江に曳かれながら、武豊を背に同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。世界ランキングでは、夏から秋にかけては一時的に順位を落としたものの、ジャパンカップと有馬記念の優勝によって、最終的な2006年通年の世界ランキング1位となった。JRA賞でも年度代表馬および最優秀4歳以上牡馬に選出された。年度代表馬は2年連続の受賞だった。JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。前年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した競走成績

  • ^ 日本国外では、複数の事業者(ブックメーカー)が自由に馬券を販売できるため、業者ごとに倍率は異なり、人気とは連動しない。ここではロンシャン競馬場内の倍率を示す。(フランスはパリミュチュエル方式を採用しており、競馬場内で馬券を買う限りにおいては人気と倍率は連動する。)
  • ^ 日本語では一般的に「稍重」に相当する。日本軽種馬協会のJapan Bloodstock Information Systemでは「稍重」、netkeibaでは「良」と表記している。
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
  • 競走成績表はnetkeiba ディープインパクトより作成

競走馬引退後究極のサラブレッド ディープインパクト

2007年5月11日、社台スタリオンステーションにて

2006年(平成18年)12月25日付で競走馬登録が抹消され、2007年(平成19年)から北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。それからディープインパクトは、父サンデーサイレンスやノーザンテースト、リアルシャダイが過ごした「功労馬厩舎」と呼ばれている厩舎で過ごすことになった[76]。同スタリオンでの担当厩務員はノーザンテーストを担当していた森田敬治である[77]。2007年(平成19年)2月14日には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には約1200人のファンが集まった。以後は同スタリオンで繋養される一部の内国産種牡馬と同様、放牧地にいる間の一般見学が可能になっているが、本馬にのみ専門の警備員が付き添う形になっている。2008年(平成20年)5月8日、平成20年度顕彰馬選出投票において競馬担当記者による投票で186票中164票(得票率86.6パーセント)を獲得し、28頭目の顕彰馬(競馬殿堂入り)に選出された。それを記念してJRA競馬博物館の1階メモリアルホールにおいて「祝 ディープインパクト号殿堂入り記念展」が5月17日より開催され、馬主服の複製や東京優駿とジャパンカップ優勝時に装着した蹄鉄などが展示された。2010年(平成22年)5月2日に京都競馬場で第12競走として開催されるJRAプレミアムレース「京都ゴールデンプレミアム」の人気投票において当馬が最多得票を獲得し、「ディープインパクトメモリアル」の副名称を付与して開催された。2012年(平成24年)にJRAが近代競馬150周年を記念して制作したテレビCM「次の夢へ」(60秒版)では、ディープインパクトの出走シーンがCM内で使用されていた。また、2013年(平成25年)のJRAのテレビCMシリーズ「The LEGEND」では、天皇賞(春)のプロモーションの際に、同競走の歴代優勝馬の一頭としてディープインパクトが登場した。翌2014年(平成26年)の「The GI story」でも、東京優駿のプロモーションにおいて同馬が登場した。2014年現在、記念投票券のイメージとして同馬の単勝勝馬投票券が表記されている。
産駒デビューまで(2007年 – 2009年)[編集]初年度(2007年)の種付料は当時の日本で繋養される種牡馬としては最高額となる1200万円であった。初年度は日本国内の新種牡馬の中では最多となる206頭に種付けを行い、2008年(平成20年)1月9日には初産駒が鳥井牧場で誕生した(牝馬。母ロングディライト)。2008年(平成20年)7月15日と7月16日に行われたセレクトセール2008当歳馬セールにて産駒が初めてセリに出され、2日間で総勢36頭が登場して31頭が落札された。最高落札価格馬は初日に登場したビワハイジの2008で、2億2000万円という高値で島川隆哉に落札された。最終的にこの2日間でディープインパクト産駒の総売却額は19億1000万円、1頭平均売却額約6161万円となり、2006年(平成18年)にキングカメハメハが記録した新種牡馬産駒の総売却額17億4500万円、1頭平均売却額約5629万円の記録を更新し、売却頭数31頭は2006年(平成18年)のキングカメハメハと同数となった。2010年2010年(平成22年)に初年度産駒がデビューした。6月26日に福島競馬場で行われたメイクデビュー福島にてサイレントソニックが勝利し、産駒の中央競馬初勝利を記録した。その後も産駒の勝利数は順調に増え続け、11月21日に京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でボレアスが勝利し、産駒26頭目の勝ち馬となり、2005年(平成17年)にアグネスタキオンが記録した25頭を抜きJRA2歳新種牡馬の勝馬頭数の新記録を達成。さらに11月27日には京都競馬場で行われた2歳未勝利戦でハッピーグラスが勝利して、産駒のJRA通算勝利数が31勝となった。これにより父サンデーサイレンスが持っていた種牡馬供用初年度のJRA通算勝利数30勝の記録を16年ぶりに更新した。さらに12月25日には阪神競馬場で行われたラジオNIKKEI杯2歳ステークスでダノンバラードが1着になり、産駒初の重賞制覇となった。最終的に初年度産駒がJRAの2歳戦で41勝し、総獲得賞金5億3704万3000円をあげた結果、ディープインパクトは2010年度のJRA2歳リーディングサイアーに輝いた。なお、この産駒出走初年度の総獲得賞金記録も、サンデーサイレンスが持っていた4億9062万5000円の記録を16年ぶりに更新することとなった2011年2011年(平成23年)にはマルセリーナが桜花賞を制し、産駒のGI競走およびクラシック初制覇を果たした[93]。また、リアルインパクトがGI格付け以降では初めてとなる3歳馬による安田記念優勝を果たした。さらに阪神ジュベナイルフィリーズではジョワドヴィーヴルが史上初のデビュー2戦目でのGI制覇を達成している。10月22日には産駒がJRA年間100勝を達成したが、産駒がデビューして2年目の同日における達成は最速記録だった[注 17][96]。この年は最終的にJRAのサイアーランキングではキングカメハメハに次ぐ2位(中央競馬と地方競馬の合算(以下、「全国」と記述)では4位)、2歳部門ではJRAと全国でともに2年連続でリーディングサイアーとなった。2012年2012年(平成24年)には、ジェンティルドンナが桜花賞、優駿牝馬、秋華賞を制し牝馬三冠を達成し[97]、さらに3歳牝馬として初めてジャパンカップも制した。また、東京優駿ではディープブリランテが優勝した。フランスではグロット賞 (G3) をビューティーパーラー (Beauty Parlour) が勝利し、産駒初の日本国外重賞初制覇を達成。同馬は続くプール・デッセ・デ・プーリッシュ(フランス1000ギニー) (G1) にも勝利し、日本国外のG1競走初制覇も果たした。最終的には産駒がGI・5勝を含む重賞18勝を挙げるなど活躍し、初のJRAと全国のリーディングサイアーに輝いた。産駒はJRAで216勝を挙げたが、これはキングカメハメハの184勝(2011年)を塗り替える、内国産種牡馬のJRA年間勝利数の新記録である。また、JRAと全国の2歳リーディングサイアーの座も獲得した。これらの産駒の活躍で翌2013年の種付料は、種付時までに全納のみで1,500万円(不受胎時全額返還)にまで値上げされたが、すぐにBOOK FULLとなるなど、サンデーサイレンスの後継種牡馬の筆頭と目されている2013年2013年(平成25年)の桜花賞をアユサンが制して産駒の同競走3連覇を達成した。ジャパンカップではジェンティルドンナが同競走史上初の連覇を達成した。他にも、ヴィルシーナがヴィクトリアマイルに、キズナが東京優駿に、トーセンラーがマイルチャンピオンシップに勝利。キズナは凱旋門賞制覇を目指しフランスに遠征も行い、前哨戦となるニエル賞(G2)に優勝した(本番の凱旋門賞は4着)。これらの産駒の活躍により、2年連続でJRAリーディングサイアーと全国リーディングサイアーを、4年連続でJRA・全国2歳リーディングサイアーを獲得した。2014年2014年(平成26年)は、ドバイシーマクラシックをジェンティルドンナが制し、産駒の日本調教馬として初の日本国外G1制覇を達成した。ドバイミーティングのG1を日本調教馬の牝馬が制したのは史上初である。桜花賞ではハープスターが勝利し、産駒の同競走4連覇を達成。また、阪神ジュベナイルフィリーズはショウナンアデラが、朝日杯フューチュリティステークスはダノンプラチナが勝利し、2009年のキングカメハメハ産駒(アパパネ、ローズキングダム)以来の2歳GI両競走制覇となった。さらに中山大障害ではレッドキングダムが制して産駒のJ・GI初制覇を達成した。その他にも、ミッキーアイル(NHKマイルカップ)、ヴィルシーナ(ヴィクトリアマイル)、ショウナンパンドラ(秋華賞)、スピルバーグ(天皇賞(秋))、ラキシス(エリザベス女王杯)、ダノンシャーク(マイルチャンピオンシップ)、ジェンティルドンナ(有馬記念)がGI競走に優勝した。重賞競走では、京都牝馬Sをウリウリが勝ち、産駒のJRA重賞競走通算50勝を達成。さらにスワンステークスをミッキーアイルが制して産駒重賞勝ち数が72勝となり、フジキセキを抜いて内国産種牡馬のJRA重賞勝利数歴代1位となった。この年は、JRAでの年間記録のうち、勝利数(232勝)、重賞勝利数(37勝)、GI勝利数(11勝)、獲得賞金(67億6270万円)で自己最高を記録し[注 23]、3年連続でJRAおよび全国リーディングサイアーを、5年連続で2歳リーディングサイアーを獲得した。なお、重賞勝利数はサンデーサイレンス産駒の38勝(2003年)に次ぐ歴代2位、GI勝利数は歴代1位である。2015年2015年(平成27年)は、ミッキークイーンが優駿牝馬に優勝。同馬は10月19日の秋華賞にも勝ち、ディープインパクトは産駒によるJRA重賞通算100勝を史上最速で達成した(史上3頭目、5年3カ月29日)。他にもマリアライト(エリザベス女王杯)、ショウナンパンドラ(ジャパンカップ)がGI競走に優勝し、さらにリアルインパクトはジョージライダーステークス、エイシンヒカリは香港カップで海外G1勝利を果たした。10月12日に東京競馬場で行われた2歳新馬戦ではラベンダーヴァレイが勝利し、産駒によるJRA通算1000勝を史上最速で達成した(史上17頭目、5年3カ月23日)。この年は獲得賞金(JRAにて69億701万5000円)で自己最高記録を更新し、4年連続でJRA・全国リーディングサイアーを獲得した。一方で2歳成績ではダイワメジャー(6億5980万9000円)に次ぐ2位(6億228万円)に終わった。2016年2016年(平成28年)は、ディーマジェスティ(皐月賞)、シンハライト(優駿牝馬)、マカヒキ(東京優駿)、マリアライト(宝塚記念)、ヴィブロス(秋華賞)、サトノダイヤモンド(菊花賞)が国内のGI競走に優勝した。また、中日新聞杯をサトノノブレスが制して新記録となる6週連続JRA重賞勝利を達成し、後に7週連続まで記録をのばした。海外ではリアルスティールがドバイターフ、エイシンヒカリがイスパーン賞でG1を制覇、マカヒキはG2のニエル賞に勝利した。また、有馬記念をサトノダイヤモンドが制し、2012年のゴールドシップ以来5年ぶりの3歳馬制覇を達成した。この年は獲得賞金(JRAにて73億7053万1000円)で自己最高記録を更新し、5年連続でJRA・全国リーディングサイアーを獲得した。また、JRA・全国2歳リーディングサイアーを2年ぶりに獲得した。産駒の傾向産駒の特徴としては、芝のマイルからクラシックディスタンス(2400m前後の中距離)に強い産駒が多い傾向があり、GIをはじめ重賞勝ち馬のほとんどがこの条件に集中している。また牡馬にも複数のダービー馬やGI馬を送りだしているものの、牝馬の産駒に特に活躍馬が多い傾向もある。 産駒の仕上がりも早く、新馬戦からいきなり力を発揮できるため、新馬の勝ち上がり率も高い。一方で複数の調教師や競馬関係者から「一生懸命走りすぎる産駒が多い」とも指摘され、体が出来上がるまではレースを多用せず、じっくりと調整される傾向がある。 数字の面では国内における他の種牡馬と比較して、アーニングインデックス(E・I)や勝馬率が高い。一例として2015年度のリーディングサイアー2位のキングカメハメハと比較すると、同馬の勝馬率が0.347(この数字も3位から20位の種牡馬に比べると飛び抜けて高い)に対してディープインパクトの勝馬率は0.366に及び、E・Iは上位20頭の中で、産駒の出走頭数54頭のスクリーンヒーローの2.89に次ぐ2位の2.55である。E・Iが2.00を超えたのは上位20頭の中では他にフジキセキ(出走頭数84頭)の2.02のみであり、出走頭数440頭に及ぶディープインパクトの2.55という数字は抜けて高いといえる(出走頭数458頭のキングカメハメハのE・Iは1.91)。

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